こんにちは、草もちんです。
2017年9月に行ってきたベトナム旅行フリープランについてつづっています。
今回は旅行5日目、フエ観光です。ベトナム最後の王朝の都があったところで、わが家はトゥドゥック帝陵とティエンムー寺、王宮を観光してきました。王都!という感じの豪華絢爛な建築物でした。現地ガイドさん(英語)に案内してもらうオプショナルツアーでした。
今回はトゥドゥック帝陵(前半)です。
ベトナム旅行の全行程詳細は以下の記事に。
▼目次
雅な離宮 トゥドゥック帝陵
務謙門から至謙堂へ
10時40分、トゥドゥック帝陵へ入場。淡い赤色の石で造られた門は務謙門。帝陵の南側にあります。上部が瓦で三重の屋根があり、左右の柱の部分には細かい幾何学模様が彫られていました。
始めに案内されたのはトゥドゥック帝の后たちの位牌(もしくは棺?現地ガイドさんの英語が聞き取れない…)が並べられている建物です。細い屋根瓦の下に、赤地に金色の植物の装飾が施された位牌が数多く並びます。
このブログを書く段階になってものすごく公開しているのですが、帝陵のパンフレットなどの資料をいっさいもらっていなかったのですよ…。どこを歩いていたのか、なんの建物なのかが分かりません(;´Д`)しかも英語だったからなおさら…。
おそらく、務謙門から近く、コの字型の建物だったのでこれは至謙堂だと思われます(フエ観光局HP参照)。屋根の上の中央の飾りは一体なんでしょうか…ガラスか何かで造られているようです。
ミルフィーユのように細い線が入った瓦屋根と、山吹色と深緑色の陶器のような飾りが組み合わさっていて、とても手の込んだ造りです。きれい。
さらに進んでいくと、綺麗に再建された塀や門と、瓦礫の続く一帯とがありました。瓦礫であっても柱や壁の位置が分かり歴史を感じるので、これはこれで観光ポイントだと思いました。
この門は数年前に再建された模様。
手の入っていない壊れた建造物跡。
この日もいい天気で…暑い…(;´Д`)ベトナムの9月は暑いです…日本とあまり変わらない湿気と気温…。
この後はさらに瓦礫というか、崩れた石畳やレンガが積まれた建物の跡を見ながら進んでいきました。かなりひろい空間です。帝陵の南の建物があった場所だと思われます(多分。地図見てないのであやふやです…)。
南側から和謙殿へ
なだらかな階段をのぼっていき、温謙堂にたどり着きました。
左に見える山吹色の瓦屋根の建物が和謙殿です。殿内にはトゥドゥック帝と皇后の位牌が祀られているそうで、内部に入って見学しているときにガイドさんから一部撮影禁止と言われました。お墓やお寺のような厳粛な空間なのでしょう。そのため写真が少ないです。
内部。暗い…!カメラの調光のおかげで写真はだいぶ明るく見えますが、実際はかなり暗かったです。黒い木と欄間の装飾はホイアンで観た旧家のものと似ています。というかこちらが最上位なのでしょうね。
豪華絢爛、というよりは静かで厳かな雰囲気の建物でした。日本のお寺に近い感覚です。歴史的な建築物として見ごたえもあります。
和謙殿の外に出て、広場から和謙殿を観ます。東を向いて建っています。
屋根の山吹色や、屋根の上に施された竜の彫刻はベトナムでは皇帝を表す高貴な意匠なのでしょうか。中国では5本爪の竜が皇帝を表すと聞いたことがありますが。
と、思って調べてみたら山吹色(草もちんにはそう見えましたが正しくは黄色)は中国における皇帝の色だそうです。ベトナムは中国に支配されていた時代が長かったそうなので、きっとその文化によるものなのですね。
ああ、五本爪を確かめてくればよかった。
謙宮門から謙池を見渡す
和謙殿の前の広場から東へ進むと謙宮門があります。その前の階段を下りると謙池が広がります。
謙宮門も再建されたばかりのようで、鮮やかな黄色の瓦が印象的です。青い空の下、美しかった。
謙池。中央は冲謙榭。ここで一日数回、伝統音楽の演奏が行われるそうです。いいなあ聴きたかった…。
池の周りに張り巡らされた塀の上の手すりには、写真左下のようにこれまた鮮やかな黄色の陶器のような装飾が施されていました。この屋外の釉薬で化粧された装飾はホイアンの旧家でも観ましたし、これから観るトゥドゥック帝陵墓にもふんだんに使われていました。
日本では見たことのない物で、とても華麗な装飾です。
この池の風景がとても美しく、これが離宮なのか…皇帝とはその時代ほんとうにすさまじい立場にいたんだな…と思いました。絶対王政の時代の頂点…現代日本に生きる草もちんにはその時代の人々にとってどれほど高貴(絶対的)な存在だったのか、感覚としての想像ができません。
トゥドゥック帝陵を巡るルートは、本来は務謙門からこの謙池を右手に見ながら進み、左手に見えた階段を上って謙宮門をくぐり抜け、その先の皇帝と皇后が祀られた和謙殿へ参拝する…というものだと思います。今回は南から和謙殿に入ってしまいましたが。
トゥドゥック帝とベトナムの歴史
時代は日本の幕末から明治にかけて
トゥドゥック帝は阮朝の第4代皇帝で、在位1847年~1883年だそうです。幕末~明治にかけての時期ですね。このころの日本では黒船が来襲したり大政奉還があったり明治時代に入って鹿鳴館ができたり、激動の時代でした。
このころはベトナムの大きな転換期だったようで、ベトナムはフランスの保護下に置かれてしまいました。それまで漢字圏だったベトナムは、現在のローマ字のような表記(クオック・グー)が教育されるようになったそうな。
それで現地ガイドさんいわく、史跡には漢字があるものの現在のベトナムの人にその漢字は読めないそうです。
トゥドゥック帝とその帝陵について
現地ガイドさんに英語で色々解説されましたが、草もちんにはほとんど分かりませんでした(;´Д`)なぜ英語ガイドを頼んだかのいきさつについては以下の記事に…。
とりあえず分かったことは、この皇帝には沢山の奥さんがいたこと、この皇帝が崩御したあとは皇帝が短期間で何度も変わったこと、お墓はあるが掘り返される危険があるので実際にどこに埋められたかはいまだに分からないということでした。
夫は聞き取れていたようですが、それを私に通訳するほどの余裕はありませんでした(^^;)事前に歴史の勉強をしておいたらもっと理解できたかもしれません。ベトナムの歴史は全然しらない…。
後に調べて分かりましたが、この皇帝の正室・側室は109人(!)だったが子どもはいなかった、皇帝が崩御した後は甥が継いだがすぐに廃位され後継は毒殺、その後継も短期間で崩御…ということでした。
ベトナムも激動の時代だったのですね…。
以下、雑感。
記憶が曖昧で申し訳ないのですがベトナム戦争でフエの建造物のほとんどが破壊されたということなので、この途中で見た瓦礫はただの風化によるものではなく戦争の爪痕なのかもしれません…。そう思うと、ただの楽しい観光でウキウキ気分、とはなれません。
ちなみに現地ガイドさんはフエ観光中、日本で言うベトナム戦争のことをずっと「American war」と呼んでいました。きっとベトナムの人はそう呼ぶのでしょう…。
トゥドゥック帝陵県見学、続きます。
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